今回は、わたしの弟が経験した山村留学について書いてみようと思います。
教育の選択肢として、このブログでもちらほら出てきますが、
詳しく書いたことはなかったと思います。
そしてそんな経験をした弟はその後どんな人生を歩んでいるのか、ということについても少し触れたいと思います。
もし興味をもっている方がいれば参考にしてみてください。
ただ、わたしが知る情報は弟が山村留学をしていた20年以上前のことになるので、
最近の体験談でないことをご了承ください。
- なぜ山村留学をしたのか
- 2年間の山村留学
- もう地元へ帰ることはない、と宣言した弟
- 思春期という時間を家庭で過ごすことができなかった弟
- ギャップイヤー、そして大学進学
- 山村留学生たちはその後どうなった?
- 同じ家に生まれ、同じ両親を持つ姉弟
- 山村留学に興味のあるけど不安な方
なぜ山村留学をしたのか
なぜ弟が山村留学という選択をしたのか、というと、
中学へ入ってからとてつもなく荒れたから、というのが理由です。
家ではやんちゃだけど、外では大人しい弟は環境の変化に弱く、(もしかしたらHSPかもなーと)
中学へ入ってから、家で大暴れするようになりました。
学校へ行きたくないけれど、行かなければならない、という状況も辛かったのだと思います。
今ほど不登校に対しての支援もなかったので、
わたしたちが住んでいた場所はかなりの田舎で、学校へ行かない=不良というイメージが強く、
親族が近くにたくさん住んでいる環境で、
「学校へ行かない」という選択は【恥ずかしい人間】と責められることもありました。
そういった環境で、弟は不登校という選択を選ぶことができず、
必死で頑張って学校へ通い、
家では大暴れ。
家族の中で一番立場の弱かった母に対して暴力をふるうようになったんですね。
そんなときに、新聞で
【山村留学生募集】
という記事を読んだ父が、
「こういう場所へ行ってみてはどうか」
とすすめました。
冬には大好きなスキーができる、興味のあったキャンプや魚釣りなどができる、という楽しそうな雰囲気に、
「行ってみようかなー」
と、たぶん軽い気持ちで承諾。
でもその後、
親元を離れて過ごす、
転校をする、
月の半分は寮生活、半分は地元の家庭にホームステイ、
帰省できるのは長期休みのみ、
という現実をつきつけられて、
かなり精神的に追い込まれていました。
ですが、弟としても
【今のままじゃいけない。家族に迷惑をかけてはいけない。一度行くと言ってしまったからには行きたくないとは言えない】
という気持ちから、行くしかない、と一生懸命自分に言い聞かせていたようです。(後から聞きました)
2年間の山村留学
中学1年生をなんとか地元で切り抜け、
2年生になる春休み、
最初は1年だけ、ということで、弟は車で8時間以上かかる土地へたったとひとりで旅立って行きました。
不安そうな顔を今でもわたしはよく覚えています。
というか、13歳という年齢でよく行ったなーと思います。
今、わたしの息子が中学生ですから、本当にわが弟ながらに尊敬します。
ですが、行ってみると、小学3年生から受け入れをしていたので、小学生も多数いたようです。
全員で20人弱くらい、だったかなぁ。
小学3年生から中学3年生までの子どもたちが、寮でスタッフとともに生活をし、
スタッフが休みを取る2週間は現地の家庭で2,3人ずつホームステイ。
ある意味ケンカになろうが、相性が悪かろうが逃げ場が全くないんですよね。
平日は現地の公立校に通い、普通に勉強をし、土日はキャンプをしたり、探検にでかけたり、スポーツをしたり、と様々なアクティビティを楽しめます。
現地の学校は、本当に山奥の学校だったので中学校は1、2、3年生同じクラス、という状況で、
地元の子どもは一学年1人か2人しかいなかったため、半分以上が山村留学生で占められていたそうです(笑)
弟も最初はめちゃめちゃホームシックになったそうですが、
泣こうが喚こうが逃げ場がないですからね。
一緒に過ごす仲間とも、相性が悪くてもうまくやっていくしかないので、
何か問題がある度に話し合いの場が設けられ、
とにもかくにも徹底的に相手と向き合う、という時間を作らされたそうです。
そうすると、育った環境の違い、年齢の違い、考え方の違い、性格の違い、そんな違いがたくさんある仲間とうまくやっていくにはどうしたらいいのか、
ということをとにかく考えたそうです。
寮生活では、ゲームなどの持ち込みはできず、テレビの時間も決まっていたようなので、
学校の宿題が終わると、時間は山ほどあったので、考える時間はたくさんあった、と言っていました。
そういった時間を仲間と過ごすことで、兄弟のようで、兄弟ではない、家族のようで家族ではない、不思議な絆が生まれていったみたいですね。
あれから20年以上たった今でも、ふつうに会いに行ったり、
その土地が気に入って、大学卒業して、結婚した後、家族で住み着いた子もいるそうなので、
ふらっと行ったりして泊めてもらったりしているようです。
辛いことも楽しいことも、苦しいことも、様々な体験をして成長した弟は、
「もう一年、ここで過ごす」
と、迷うことなく残ることを決めました。
行くときは「1年しか行かないから!!」と強く宣言しながら行ったんですけどね。
山村留学2年経験した弟はみちがえるほど成長しました。
学校まで山道を徒歩で2時間かけて通ったり、週末のひとりキャンプを経験したり、学校生活と様々なアクティビティから身体的にも精神的にも鍛えられたので、
わたしも久々に会ったとき、「めっちゃくちゃたくましくなってる!」と驚いたのをよく覚えています。
もう地元へ帰ることはない、と宣言した弟
高校進学の時は、やっぱり迷っていました。
どこを受験するか、ということは。
当時、わたしはすでにアメリカへ留学していたので、弟の相談に直接乗ることは少なかったのですが、
エアメールではどうしようか、という悩んでいるメールが届いていました。
ただ、ひとつだけ宣言していたことがあって。
「もう地元には帰らない」
ですね。
地元の高校では、わたしが辛い学校生活を送ったことを弟も知っていたので、
その選択肢はまったくなかったそうです。
同じ山村留学をしている仲間は関東に住んでいる子が多かったようで、
東京の高校への進学もかなり考えたみたいです。
ただ、そうすると一人暮らしをしながら学校へ通わなければならないので、
その辺が悩みどころだったんでしょうね。
様々なことを考えて、寮のある高校を中心に受験し、
最終的には、山村留学先で一緒だった先輩が通っている全寮制高校に、追いかけるようにして進学しました。
高校は勉強よりも生き方、だったり自主性を大事にしてくれる学校だったので、弟にも合っていたようです。
もちろん、高校生ですから、寮でも学校でも数々のトラブルが発生していたようですが、
中学の山村留学で様々な経験をしていた弟にとってみればたいしたことではなかったようですね。
思春期という時間を家庭で過ごすことができなかった弟
思春期という大事な時期を、弟は様々な大人たちから学び、
仲間と切磋琢磨する、というかたちで過ごし、成長しました。
親自身は弟と向き合うことができなかったことに対して、様々な思いがあるようですが、
田舎のあの息苦しい場所で向き合っていたとしても、
弟にとってよかったかどうかはわかりません。
もちろん、13歳で家から旅立たせる、という親の選択もまた本当によかったのかどうかは弟にしかわかりません。
弟は「いろいろ悩んだ時期もあったけど、結果としては行ってよかった」
と話していたことはありましたが、
たぶんわたしたちにはわからない、大きな苦労をしたのではないかと思います。
ギャップイヤー、そして大学進学
高校を卒業した弟は、わたしのアメリカ留学への憧れもあってか、海外で暮らすことを希望していました。
ただ、両親ともにフルタイムで働いていたとはいえ子ども2人を留学させるってかなり経済的には大変なわけですよ。
わたし自身、留学情報は自分が旅立ったときよりもかなり集めていたので、
当時アメリカよりも学費や滞在費が安かったカナダへ弟は旅立ちました。
カナダはスキーやウインタースポーツが好きな弟には最適な場所だったみたいで、いろいろアクティビティは楽しんでいたみたいです。
そんな時に、日本の大学から留学してきている同年齢の子に会い、
その子があまりに頭がよくてしっかりしていて、
考え方などもしっかりと英語で伝えられている姿を見て、
弟自身、生まれて初めて、「もっと勉強したい。大学へ行きたい」
と思ったそうです。
それまで勉強なんてまともにしたこともなかった弟なんですよ。
小学校の宿題も、わたしがやってあげていた記憶があるし(^^;)
高校受験の時も、試験の点数は悪かったらしいのですが、
山村留学をしていた、というちょっと人とは違う経験だったり、
得意な水泳やウインタースポーツの体験や成績が評価されて、
なんとか合格できているので、
姉の目からみても勉強ができる弟ではありませんでした。
その弟が「勉強したい」と。
いやー、親も驚きだったみたいです。
そして弟はすぐに帰国し、大学受験のための予備校に入りました。
その年の受験にはもう間に合わなかったので、
翌年の受験に向けてスタート。
海外的に言えば2年間のギャップイヤーですが、日本では留学していたとはいえ2年間の浪人生。
ものすごい勢いで勉強したそうです。
人生でこれ以上勉強することはないだろう、というくらいとにかく必死だったそうです。
さて結果は、というと、留学生の多数いる国際的な環境の大学に合格し、進学しました。
一人暮らしを始め、大学生活のスタートです。
中学、高校の寮生活のおかげもあってか、自炊もばっちりできるようになっている弟は一人暮らしでも大して困ることはなかったみたいです。
大学卒業後は一旦就職しましたが、
数年後に退職し、海外の友人に誘われて海外で起業。
その後もあれこれ友人たちを手伝ったり、仕事をしたりして、自由に働いています。
大学では様々な国から来ている留学生と出会い、多くの国の友人ができたみたいで、
山村留学時代から考えると、全国各地に、世界各地に友人ができた弟は、
今でもどこへ行っても泊まる場所に困らないみたいです。
だいたいどこへいっても友人たちが泊めてくれるそうなので、宿代もかからないと。
なかなか面白い人生を送っている弟です。
山村留学生たちはその後どうなった?
さて、弟と同じころに山村留学をしていた子たちは今、どんな人生を送っているのでしょう。
山村留学先が気に入って、家族で移住した子。
地元へ帰り普通に地元の学校へ復帰した子。
海外の学校へ飛び立っていった子。
別の山村留学先に移っていった子。
弟のように寮のある学校へ進学した子。
そして大人になった今は、
山村留学のスタッフになった子。
結婚して子育てに奮闘している子。
弁護士になった子。
起業した子。
国際結婚をして海外に移住した子。
普通の会社員になって働いている子。
様々な人生を送っているようです。
同じ家に生まれ、同じ両親を持つ姉弟
時々、ひとりで自由気ままに好きなことをしながら生きている弟をうらやましいと思うことがあります。
でも、弟は弟なりに苦労もしているし、
自由であることは責任も伴います。
そういったことをひとりで背負って生きているわけですから、楽しいことばかりではないと思うんですよね。
たぶん、弟的にも、
家庭をもって子育てに奮闘しながらも、自分のやりたいことはしっかりやって生きているわたしのことをうらやましいと思うことはあると思うんですよ。
でもどちらがどう、ということを比べるのはとてつもなく無意味なことです。
わたしはわたしなりに幸せに生きているし、
弟は弟で、それなりに幸せに生きています。
自分が選んだ人生で。
姉弟で、同じような血が流れていたとしても、こんな風に生き方って変わってくるんですよね。
好きなことも、興味のあることも違います。
13歳で弟が家を旅立ってから、わたしもその後すぐにアメリカへ旅立ったので、
弟と過ごしたのはわずか13年。
その後の人生の方が長くなってしまいました。
会うこともほとんどありません。
でもたまに連絡がきます。
わたしもふっと思い立って相談したりもします。
何年も会っていないのに、たまに会うとふつうに語り合います。
そんな関係性が、わたしはなかなか気に入っています。
山村留学に興味のあるけど不安な方
山村留学は、活動費などを含めるとやはりけっこう経済的には大きな負担にはなります。
もちろん、衣食住の面倒を見てもらえて、体験をさせてもらえるのならば逆に安くはあるのですが、だいたいどこの団体を通しても月額10万円くらいはかかります。
それにプラスして様々な費用がかかります。
なのでどうしても決断するには大きな勇気が必要です。
団体によっては、週末だけ、とか夏休み1週間だけ、という募集もあります。
そういったプログラムに参加をして、ものすごくよかった!ぜひ!!と思えば1年、2年単位で山村留学を考えてみてもいいのかなぁと思います。
弟もよく「合わない子にはたぶんすごく苦しいと思う」と話していたので、体験してみるのは必要だと思います。
そして山村留学を提供している団体についても、
どのような理念があって、目的があるのか、子どもたちの成長のためにどのような工夫をしているのか、
スタッフの教育はどのように行っているのか、等々
しっかりと説明してくれるところ、親も納得できるところを選ぶのが一番です。
子どもの命と人生の一部を預けるわけですから、信頼関係をしっかり築けるかどうか、というのは一番大切です。
というわけで、
教育の選択肢のひとつとして、山村留学を経験した弟のお話でした。
人生はどこでどうなるか、本当にわかりませんね。
少しでも参考になれば幸いです。