子どもと学びとわたし

保育士ママが子育てや教育について考えてみる

プロフィール

わたしのことについて

 

幼稚園や学校になじめない子でした

 

幼稚園に入園、おめでとうございます~パチパチパチ!!

さあ、集団生活の始まり、お友だちできるかなー、楽しい毎日が送れるかなー、とわくわくどきどき…なハズが。

 

いきなり登園拒否したらしい、わたし。

 

世の中の不登校のみなさん、心配しないで。

幼稚園でいきなり不登園になった子どもがここにおりますよ。そんなわたしでも大人になり、仕事もあり、家庭もあり、子育てもしてますよ!

今でも、なんとなーく覚えていることもありますが、ほとんど覚えてはいません。

とりあえず集団が苦手でした。

そして賑やかな声がダメでした。

ひとりで、お花に向かって「うふふ、あはは」と話す、不思議ちゃんで、今は亡き祖母はわたしの将来をとてつもなく心配したそうです。

というわけで幼稚園はほとんど行ってません!

 

そんな感じなので、小学校も苦手でした。

苦手だったのですが、ある先生との出会いで、小学校生活はあまり苦ではなくなったんですね。

 

「君の考え方は、テストでは100点とれないかもしれない。でも先生の中ではその考え方は200点満点をあげたい」

「そういう感性を持っている人間は多くはないから、大切にしなさい」

 

と言ってくれた先生でした。

その先生のおかげで、わたしは自分に少しだけ自信がもてるようになったのです。

 

小学6年生の時、クラスメートから無視され、中学では友人がいじめに合う

 

自分に自信がもてるようになったとはいえ、同調圧力の強い教室の中で、ちょっと違う、という子はいじめに合いやすいです。

わたしはいじめとかのけ者にするとか、そういうことはイヤだったので、なるべくいろんな子と平等に付き合うようにしていたんですよね。(HSCあるある?)

もちろん仲のいい子、はいましたが。

すると、「八方美人だよね」と言われました(^^;)

 

小学6年生の時、誰に対してもいい顔をしている、むかつく、という理由で、クラスメートから無視されるようになりました。

一応成績も良く先生受けがよかったおかげか(自分で言ってるよ)、ひどいイジメに合うことはなかったのですが、グループで何かをするときにはいつも仲間外れにされたので、けっこう辛かったですね。

とはいえ、すぐに中学生、とりあえずクラスメートからの無視攻撃はそのまま卒業。

ですが、中学に入ると、いじめはますます増えました。

仲の良かった友人がいじめの標的になったときには自分のこと以上につらかったですね。

トイレに呼び出されて、何をされるかわからない、という状況になったとき、一緒に逃げたこともありました。

当時はいじめのターゲットが次々と変わっていって、みんな次は自分かもしれない、とびくびく過ごしていたのを覚えています。

 

高校1年生、転機がおとずれる

 

レールにのるように周囲の流れにのって受験をし、高校生になったわたしは、今でも問題になっているブラック校則や、先生からの人権侵害ともとれる言動やクラスの同調圧力で、学校という存在に疑問を持ち始めました。

そんなとき、ふと見たチラシに心を奪われました。

アメリカ短期留学ー高校生募集!ー

インターネットもSNSもない時代、情報といえばラジオとテレビ、という環境でしたから、

アメリカ=自由の国

というイメージしかなかったわたしは、

 

とにかく自由になりたい!!

 

と、そのままチラシを握りしめ、親に、「わたし、アメリカいく!(そして自由になる)」

と宣言いたしました(笑)

もう20年以上も前の、高校1年生のときです。

若さの勢いってすごいよね。

地味にまじめに生きてきたわたしが、いきなりアメリカに行くとか言い出すもんだから、親もさぞかし驚いたようです。

高校生になってから笑顔なくただ義務的に登校している姿を見ていた親は、快く送り出してくれました。

 

これが、わたしの海外初体験でした。

 

高卒後、渡米&人生観が変わり、生涯の友に出会う

 

当時アメリカに一緒に行った同世代の友人の中にはいまでも、連絡を取り合っている子もいます。

わたしの中で、真剣に将来について考えるようになったきっかけにもなりました。

高校在学中、大学進学か留学するか悩みに悩んだ結果、

最終的には留学することを決めました。

 

高校3年生、2月はじめ、周囲が大学受験真っただ中に、わたしは卒業式を待たずして再びアメリカへ飛び立ちました。

高校が自由登校になったので、受験をしないわたしはただ早く、日本を離れたかったんですよね。

あの日のことは今でも忘れません。はっきりと覚えています。

心配そうに見送る親に笑顔で手を振って、その手を握りしめました。

 

後悔のない生き方をしよう

後ろはもう振り返らない

ありのままの自分で頑張ろう

 

そう心に決めて、飛行機乗り、飛び立ちました。

語学学校でTOEFLスコアをクリアし、コミュニティカレッジに入学。

アメリカ生活では人生観も大きく変わりましたし、自由にもなりましたが、苦しいことや大変なことも多かったです。

そんな中、生涯の友に出会いました。

 

楽しいことも苦しいことも、すべて一緒に共有した友人です。

 

今は、お互い結婚し、子育て真っ最中、このような状況下なので、なかなか会うことはできませんが、連絡は取り合っています。

今でも、何かあると泣きながら電話したり、なんてこともたまに、あったりします。

 

アメリカでの経験は、わたしにとってかけがえのないものになりました。

日本で、学校へ通っているときって、人と違うことが気になったり、人の目を気にしすぎて目立たないようにしたり、嫌われない努力をすることが本当にしんどかったんです。

そしてそうやって生きるのが当たり前だと思っていたんですが、

実はそういうことって別に必要なかったんだ、大切なのはそんなことじゃないんだ、と。

人に大きな迷惑さえかけなければ、自分が自分らしく、楽しく過ごせばいいじゃん!

と思えるようになりました。

 

ありのままの自分を好きになってくれたり、友だちになってくれた子とは今でもやっぱり連絡は取り合っているし、本当に長い付き合いというか、結びつきは強い気がします。

それは日本に帰国してからも変わらないですね。

ありのままでいると、自分と同じような人が集まってきて、息子を通してママ友、という存在もできましたが、みんなサバサバしていて付き合いやすいです。

息子が公教育を離れてからも、たまに会ってお茶したりしていました。(今はなかなかできないですが)

 

話がそれました(^^;)

アメリカのコミュニティカレッジに通っているときに小学校でボランティアをしていました。

その時、子どもたちと触れ合うのが本当に楽しくて、同時に子どもたちが抱える問題、みたいなものを知ったんですよね。

そして、わたしが思ったのは海の向こうの自分の生まれた国にいる子どもたちのこと。

日本では自分と同じように苦しんでいる子どもたちがいるのかもしれない。

自分の生まれた国の子どもたちのために何かをしたい。

アメリカへ行ったことで、アメリカの良いところ、悪いところ、両方見ることもできましたし、

日本の良いところ、悪いところ、も客観的に見れるようになったことはわたしにとってはとても大きなことでした。

 

帰国後のわたし、結婚、出産、今にいたるまで

 

帰国後は、保育士資格をとりました。

手っ取り早くとれる資格だったのと、保育士資格は児童福祉施設ならどこでも役に立つということを知ったからです。

 

そして児童養護施設に勤務しました。

結婚後は、派遣OLとしてデスクワークも経験しました。

出産後は、保育園でパート保育士として勤務しています。

 

かれこれ、10何年かしら?15年以上?

多くの子どもたちに触れあってきました。

日本の子どもたちのために何かをしたい

そんな思いで帰国し、大きなことはできていませんが、保育士として少しは何かの役に立てているのかなぁ。

 

そんな中での息子の不登校

改めて教育について考えるきっかけを与えてもらえました。

わたしがかつて学校教育に疑問をもったように、息子もまた疑問をもっています。

そして、娘もまたその学校教育にすすんでいきます。

息子は小学生で不登校、公教育に疑問を持ち、公教育を離れオルタナティブ教育を選択しました。

娘もそうなるのかなぁ、と。

まあ、わたしの子どもたちだからね(^_^;)

 

このブログでは保育士として子育てで多い悩みなどについて書いたり、

息子や娘を通して得た教育情報、オルタナティブな学びや海外の教育、

我が家で使ってみてよかったおすすめの育児グッズ、教材など、紹介していこうと思っています。

たまに、わたしが経験した留学経験も?(古すぎていらないって)お伝えできればいいな、と思っています。

 

アラフォーにもなると仕事でぐったりして帰ってくるので、更新度はのんびりですが、なるべく頑張って続けたいなーと思いますので、よろしくお願いします。