不登校になったとき、先生から何か指摘があったとき、友だちとの関係がうまくいかないとき…親だったら、考えますよね。
うちの子、他の子と何が違うの…?
特に集団生活になじめない、というのはみんなと同じことをするのが苦手、ということです。
そうなると、一番にもしかして発達障害?と言われることもあるでしょうし、親自身も疑ってしまいますよね。
わたしも本当に悩みました。
何が違うんだろう…。
みんなは平気なのに、どうしてうちの子だけが学校へ行けなくなってしまったんだろう。
どうしてうちの子だけがこんなにも学校生活が苦しそうなんだろう。
周囲には同じような子はいなくて、とにかくネットで同じようなケースを探しまくったこともありました。
このブログでもギフテッド記事や、オルタナティブスクールに関する記事がよく読まれています。
今回は、わたしが親として息子の個性を受け入れていく、理解するまでにいたった過程?…道のりを書いてみたいと思います。
最初に書いておきますが、息子は発達障害、HSC、ギフテッド、という明確な診断は受けていません。
受けられる場所もかなり調べましたが、結果的にどんな息子であったとしても、それは個性として受け入れることになるだろうな、と思ったので。
知的面での発達障害ならば療育やその他の支援は必要ですが、そういった指摘を受けたことは一度もありません。
息子に合った環境で、自分らしい学び方をして、自立し、社会に出ていけることがわたしたちの目標です。
息子にとって集団生活が苦しかった理由
息子は精神年齢が高いけれど、学力その他能力は年相応である、ということです。
息子が不登校になってから、たくさんの支援を受けました。
その中でもスクールカウンセラーや教育支援センターの心理士さんには本当に助けてもらうことが多かったです。
今でも、息子が集団生活がなぜ苦しかったのか、というのは息子の中でも明確な答えみたいなものはわからないと思っています。
ただ、息子との会話、心理士さんとのやり取りの中で、こうではないか?というところにはたどり着いています。
それは、息子の精神年齢がものすごく高い、ということなんですね。
最初に不登校になったのは小学2年生の時でしたが、すでに小学校に入学してすぐに登校しぶりはありました。
最初は発達障害ではないか、と思ったんですよね。
うまく人と話せなかったり、集団が苦手、というのはわかっていたので。
ですが、環境に慣れてくれば普通に会話はできますし、集団生活が苦手だからといって、パニックになるとか暴れて先生を困らせるとかはなかったことと、集団生活はちゃんとできていたこと(ストレスはたまるけど)、知的レベルは特に問題はなかったこと、それらを考えて、どちらにしてもグレーゾーンかな、と。
そんな中で、
なぜ、精神年齢が高い、と思ったのか、というと、
友だちとのやりとりの中で、息子は常に自分のことよりも相手の気持ちを優先させて行動している、ということに気づいたんですね。
でも、小学1年生とかそこらの子たちは、特に男の子なんてまだまだ自己中心的です。
昨日のケンカも今日はすっかり忘れて、なんてこともよくあります。
けれど息子はそうではありませんでした。
そのあたりで、自分は友だちと何か違う…ということを感じたようです。
それをカウンセラーの先生に話すと、
「そういう考え方を小学校低学年でできる子はなかなかいない。特に男の子は脳の発達からいっても小学校高学年にならないとなかなか人の立場になってこうではないか、たぶんこうだから、こうしたほうがいい、と思って自分が一歩下がるとか、妥協する、ということをするのは難しいと思う」
と言われました。
そうやって話をしていく中で、息子は考え方はかなり大人に近い考え方ができるのだけれど、学力面や運動能力では年相応ということがわかってきました。
あえて優れているかな、と思われるのは空間認識能力ですが、じゃあそれが飛びぬけているか、というとそういうわけでもありません。
その他の学習面でも、そこそこ勉強はできましたが、じゃあ人並み以上にできるかというとそうではないし、運動能力もどちらかというとそれほど高くはなかったです。
そういったギャップですよね。
思考力、精神年齢の高さとそれ以外の能力のアンバランスさが集団生活や友人関係の中で苦しさにつながっていったのではないか、という想定をしています。
ここまで読んでいただいた方はお気づきになられた方もいらっしゃるかもしれません。
それってHSC(Highly Sensitive Children) の特徴のひとつでは?と。
息子はHSC?ギフテッド?
HSCとはHighly Sensitive Childrenの略で、現在では繊細さんとか敏感な人、とけっこうその言葉を知っている方が増えてきましたが、HSPの子どもバージョンですね。
息子が不登校になったのはもう何年も前で、当時はHSPやHSCという言葉を知っている人はほとんどいませんでした。
ネットで調べてもほとんど情報もないときだったのですが、なぜわたしがその言葉を知ったのかというと、知人が「HSCって知ってる?」と教えてくれたんですよね。その知人が息子を見て、そうではないか、と思ったようです。
わたしはすぐにネットであさって、
この本を購入しました。
今は様々な方がHSCの関連本を出されているので、もっと簡単でわかりやすい本がたくさんありますが、当時は本当にこの本しかなかったんですよね。
今は他にもいろいろな本をわたしも購入していますが、本のレビューはまた別の機会にでもします。
とりあえず、この本のHSCチェックリストというのをやったら、息子はすべてに当てはまっておりましたΣ( ̄ロ ̄lll)
というか、もしかしてわたしも…?みたいな。
この本はけっこう分厚いのですが、もう何回も読みました。
いやもう、目からうろこ、ですよ。
こういった研究をされている方がいるんだなぁというのもそうですが、こういった子どもたちはたくさんいるんだなぁと。
思い返してみると、わたしの友人たちはみんな繊細さんや敏感さんが多いかもしれません。ほんと。聞いたわけじゃないんですけどね。
考え方だったり、性格的なものだったり。
それと同時にギフテッド、という言葉にもたどりついたんですよね。
これはネットでHSCの情報をもっと探せないかと調べていたときに、HSCとギフテッドの特徴がよく似ている、ということが書かれたブログを見つけたんですよね。
で、ギフテッドの特徴をチェックしてみると、おお、けっこう当てはまっている!と。
ただ、人より飛びぬけた何か、というと考え方や精神年齢が高いというくらいです。
たとえば、算数がめちゃくちゃできる、とか宇宙に興味があって難しい学術書を読んでいる、とかだったらわかりやすいと思うし、そういった本人の興味のある環境を与えてあげることが可能なのですが、息子の場合目には見えにくい特徴なわけです。
本人はあまり人との違いを明確にはしたくないし、目立ちたくないので(学校で先生にさんざん子どもらしくないといわれトラウマになってるんです(涙)、外では自分の考え方を伝えることはほとんどありません。
なので、表面化しなければ誰にも気づかれることはないと思います。
国によってはIQやこういう能力ではギフテッドではない、となるでしょうし、そういったものも才能の一つ、という国であればギフテッド、ということにもなるのでしょう。
ギフテッドの定義は国によっても違うし、世界で決まっているわけでもないので、その辺は考えるのはやめました。
結局はその個性をいかに発揮し生きていけるか
HSCかもしれないし、ギフテッドかもしれない、でもそうではないかもしれない、発達のグレーゾーンかもしれない。
でも、息子は息子です。
同じ子どもなんてこの世にはいません。みんな違ってみんないい。
違いがあることを認め合う世界で、生きていけることの方が重要です。
たぶん、息子にとってみれば集団で和を乱さず生きていくことが良しとされる日本の社会は生きづらいのだろうな、と思います。
必死で合わせようと努力した結果、限界を迎えてしまったので。
一時期は「みんなと同じがいい。みんなと同じようになりたい」と言っていました。
今は、というとオルタナティブスクールというちょっと特殊な環境に身をおくことで、考え方は大きく変わってきているような気がします。
今の学校には個性的なユニークな子どもたち(既存の学校が合わない子どもたち)がたくさんいますので、みんなと同じであること、を求められることもありません。
それそれの違い、意見や考え方の違いなどを受け入れて認め合う、ということを大事にしてもらえているので、親としてもそういった面は本当によかったな、と感じています。
教育環境って本当に大事ですね。
いろんな世界を知って、いろんな職業があって、きっとこれからも新しい職業はどんどんでてくると思います。
そんな中で、自分の能力を知ってどんな形で貢献できるのか、仕事につなげていけるのか、そういったことを考えることが大事なことだと思います。
もちろん、当たり前の学校ルートからの就職を否定するわけではありません。そういった道を選択するのもひとつの選択ですから。
「ふつうでいい。稼ぎが少なくても、とりあえず最低限生活できて、小さな楽しみを少しずつ積み重ねていく人生がいい」という人だって中にはいます。
こうでなければならない、ということは決してないと思います。
息子の未来は誰にもわかりません。
不登校になった当時は「このままだと一生引きこもりですよ」と言われもしましたが、引きこもりもなっていないですし。(←けっこういろんなところで書いてますね、けっこう根に持ってるのかも、わたし)
以前に、息子が言ったんですよ。
「学校の先生は、学校が好きだから先生になったんでしょ。でもそれって学校しか知らないってことだよね。だから、学校の先生には僕の気持ちは一生理解できないと思う」
と。
そ、そうかもね。
確かに、いろんな経験をしたうえで教師になった方や、学校以外のことをいろいろと学ばれて教師になった方でなければ、学校以外の世界は知らないんですよね。
そういった先生にいくら人生論を語られたところで…うーん、と思ってしまいますよね。
実は副校長にネチネチ言われたときに…「不登校だと社会に出ていけませんよ」とか「このままだと苦労しますよ」とか、
「え、わたしの親戚に不登校だったけど、今、経営者やってる人いますけど?」
と思わず言っちゃったんですよ。
そしたら、「それは稀なケースです」と…いやー、頭硬すぎる~(^_^;)
と思っちゃいましたけどね。
わたしのまわりの不登校経験者はかなりいますが、ほとんどが普通に社会に出て働いてます。
そういった実態すらご存じないのでしょうね。
たぶん、この記事を読まれている方は不登校だったり、発達障害?HSP?ギフテッド?ということで学校や子どものことで悩まれている方が大半だと思うんですね。
とにかく子どもが一体なんなのかはっきりさせたい!というのであればWISC-Ⅳなどの知能検査を受けてみるのもいいと思いますし、発達の専門のクリニックを受診するのもいいと思います。第三者の立場の方に介入してもらうことはとても大切ですし、信頼できる人を見つけることも大切です。
あとは海外の情報を知るのもいいのかなーと思います。
今は無料の翻訳ツールもたくさんありますし、アプリなんかもあります。
特にギフテッド教育などはアメリカなどの国の方が圧倒的に情報があります。
情報を得ることは、うちの子だけじゃなかった、という安心感にもつながります。どういう育て方をすればいいのか、というヒントももらえたりもします。
わたしもホームスクーリングの情報に関してはかなりアメリカの情報を参考にしました。
学び方はひとつではない。世界に目を向けてみれば、こんなにもいろんな環境で、いろんな学び方をしている子どもたちがいる、それを知れただけでも、わたしにとっては大きな収穫でした。
今後も、息子が息子らしく生きていけるように、親として見守って、時には背中を押してあげられるといいな、と思います。