子どもと学びとわたし

保育士ママが子育てや教育について考えてみる

インクルーシブ教育に思うこと

 

現在中学生の息子が小学生だった頃、いろいろ不思議に思ったことがあるというか、疑問に思ったことが多々ありました。

 

インクルーシブ教育とかダイバーシティとか、子どもの個性を大事にしましょう、とか多様性を受け入れましょうとか、学校から最初にいただいたプリントにはそれはそれは教育の理想ともいうべき姿がつらつらと書かれておりました。

 

さすが、昭和の私たちのころの学校とは変わったなぁ~と時代の流れを感じたのは最初だけでした。

 

 

とあるクラスで学級崩壊が起きたのですが、その時の先生たちの言い分。

 

発達障害の子どもが多すぎてクラスがまとまらない」

 

保護者会でクラスの3分の1が発達障害と説明があったそうです。

PTAで一緒だった方に聞きました。

 

なんじゃそれ!?さすがにクラスの3分の1もいるわけないじゃん…と思いますよね。

ちなみに担任が変わってからは落ち着いたそうです。

 

学校でなにが行われているかというと、クラスになじめない子、落ち着きのない子、授業についていけない子、は発達の検査を受けてください。と言われることが多いです。

つまり、クラスがまとまらないのは、子どもになんらかの問題があるのが原因で、教師や環境に問題はない、ということにしたいんですよね。

もちろん、中には発達に遅れがある子どももいるでしょう。そういった子どもたちには支援が必要です。

ですが、先生の方にも何か問題はなかったのか、環境はどうだったのか、そういったありとあらゆる原因を考えることはないのでしょうか。

明らかに保護者が学校側に対して不信感を抱いた出来事になりました。

 

今回、娘の入学にあたって、疾患があることで就学支援を受けたいと思っていたのですが、就学支援は発達になんらかの問題を抱えている子どもに向けてのものだそうで、病気の子どもに対するものではないそうです。

 

え、じゃあうちの子はどうしたらいいんですか?

病気を抱えている子どもの支援はないんですか?

 

と、たずねると、発達障害の子どもが年々増え続けていて、そちらが中心になっているだけで、大丈夫ですということでした。

 

でもやっぱり発達検査をすすめられました。

 で、結局普通ではない子どもたちは支援級に、となるんですね。

 

確かにまじめに頑張っている子どもからすれば授業を妨害する子どもは迷惑だと思うんですね。

だってまじめにやってる子どもたちの方が明らかに損してますもの。

 

でも、その授業を妨害するのは何かしらの理由があります。

私も一応保育士をしているので、集団で行動することが苦手な子どもたちはたくさん見てきましたが、やはり必ずそこには理由があるんです。

幼い時ほど、それを言語化するのが難しいだけで。

ちょっとした配慮で落ち着くこともあるし、できなかったことができるようになる子もたくさんいます。

 

本来なら教室で担任の先生以外の先生がそういった支援ができれば一番いいのでしょうが、

学校を見ていて思ったのは、先生たちがあまりにも忙しすぎて、

ちょっとした配慮すらする余裕がないことや、クラスで問題行動を起こす子どもたちは支援級のほうが落ちつく(少人数なので)ことが多いので、

結局そうやって、クラスから距離を置かせる方法が一番楽なのかな、と思ってしまいました。

 

目指すべき理想の教育の姿があまりにも漠然としているせいか、現場の先生たちの考える教育の姿というのが本当に違いすぎて、担任によってとらえ方も千差万別なんですね。

 

たとえば、息子のクラスではこんなこともありました。

クラスにはこだわりの強い子がいて、学年があがるにつれて、子どもたち同士で、あの子がこだわりが強い、ということがわかってきます。

ですが、先生は嫌がっているその子に無理やりやらせようとするわけです。

子どもたちは誰もが「あーあ。パニックがおきる」とその様子をみているわけです。

もちろん、子どもたちの想像通りになるわけですよ。

「嫌がっていることを無理やりやらせなければいいのに。先生もなんであんなことするんだろ」

と家に帰ってきて不満を口にするんです。

 

ですが、先生の立場ではみんなが同じように同じことをできるようになってほしい、ひとりだけ特別扱いするわけにはいかない、という気持ちから少々強引にやらせようとしたんだと思うんですよね。

 

先生が悪いわけではないと思うんですよ。

 

先生自身がインクルーシブ教育に必要な考え方だったり、支援、配慮といったものを明確にわかっていない可能性もありますし、そもそもわかっていたとしても、今の公立小学校の環境では海外のようなインクルーシブ教育は不可能だと思います。人数的にも。

 

なので、今の学校環境はあまりにも過酷なんじゃないかなと思います。たぶん、だれにとっても。

 

みんなと同じことを求め、みんなと同じことができるようになることが良しとされる教室。

みんな違ってみんないい。個性を大事に、多様性を認める教室。

 

それはあまりにも違いすぎるのです。

あまりにも違いすぎるのに、同じ教室でやろうとしているから矛盾が生じてしまう。

一貫性がないから子どもたちが混乱してしまうんですよね。

 

娘は配慮が必要な子どもです。ですが、知的な遅れはなく、運動能力も年相応です。

医療的な配慮も必要はありません。

それでも、学校現場では普通ではありません。

今の教育現場に娘を送り出すことへの不安は大きいです。

 

おそらく多くの方ががそういった不安を抱えているのでは、と思います。

どうにかできないものか、どうにかしたい、そう思いながら、現在は教育センターや教育委員会へ保護者としての不安や思いなどを伝えています。

すぐには変わらないかもしれないけれど、何かが変わるかもしれない、と願いながら。