子どもと学びとわたし

保育士ママが子育てや教育について考えてみる

アメリカ留学の思い出話

今回は、わたしのアメリカ留学について少し書いてみようと思います。

 

なんせ20年以上も前のことなので、真剣に留学を考えている方の参考にはならないと思いますが、こんな感じなのねー、くらいのゆるーい感じで読んでもらえればいいかな、と思います。

 

アメリカに滞在歴がある、というと、必ず

ニューヨーク??ロサンゼルス??と聞かれます。

カリフォルニア州のサンディエゴには語学学校で短期間滞在していたことはありますが、

カレッジ入学後は、そのような都会ではなく、

オレゴンのめっちゃど田舎に住んでいました(笑)

え、どこ?

と思われた方に、説明すると、カリフォルニア州の上にある西海岸の州です。

日本からだとオレゴン州最大都市ポートランドへの直行便があります。

もしくはサンフランシスコやシアトル経由でポートランドへ行けます。

最大都市といってもロサンゼルスやサンフランシスコに比べるとそれほど大きくはないです。

 

そのポートランドからプロペラ機に乗らないとたどり着けないような田舎町。

今、ちょっと子どもの地図帳で調べてみたら、小学校のも中学校の地図帳にも載ってませんでした( ;∀;)

哀…。

そう、それがわたしの滞在先だったのでした。

学校もそのちっさい空港から車で30分かかりました。

そんなすんごいど田舎で、寮生活を送っていたんですよね。

もちろん日本人も多くはなく、

日本食レストランも隣町に1件、あとはアジア系レストランがいくつか。

ましてや日本食スーパーなどは一切ありません。

 

 

なぜ、アメリカの田舎町へ?

 

オレゴン州はNo Taxの州

 

つまり、消費税がなし。(2022年現在も)

ホテル税などはありましたが、日用品や食材を購入する際に消費税がかからないというのはめちゃめちゃ大きいですよね。

カリフォルニア州の高い税金を経験したあとで、オレゴンのスーパーに行くと、すごい安く感じてしまうんですよね。

で、オレゴンと聞くと、大平原とかただっぴろい牧場などを思い浮かべる方も多いかもしれませんが、

街から少し離れるとまさしくそんな感じです(笑)

なので農作物、お肉、あと名産物のワイルドサーモンや牡蠣も安くておいしかったです。

とにかく生活品の物価が安い。

アメリカの学費はけっこうかかるので、留学生にとってこれは大事ですよね。

 

キッチン付き寮があるコミュニティカレッジ

 

カレッジにキッチン付きの寮がすぐそばにあったんですよね。

もちろん学校のカフェテリアで3食、食べることはできますが、さすがに日本人ですから日本食が恋しくなります。

そういったことを考え、

キッチン付きの寮がある、というのは大きかったです。

徒歩圏内にスーパーやホームセンターがあったので、それも助かりました。

 

カレッジからの返信が一番早かった

 

実は他にもいくつかApplyしていた(願書を出していた)カレッジがあったのですが、

返信が一番早かったのがそこのカレッジでした。

様々な質問をして、疑問点を解決したうえで決めたかったので、そこらへんは一番大きかったかもしれません。

事前にかなりメールで相談もしました。

語学学校の滞在中に全部自分で手続きをやっていたので、ビザの関係もあり、

素早い対応をしてくれた、当時のインターナショナルアドバイザーには本当に感謝でした。

ちなみに入学後もめっちゃお世話になりました。

口癖は日本語で(ダイジョブー!)でした(笑)

 

治安がいい

アメリカ、と聞くと犯罪率は高く、治安も悪い、という話をよく聞くとおもいますが、

それは地域にもよると思います。

田舎町だったので治安はものすごくよかったです。

さすがに夜ひとりで出歩いたりはしませんでしたが、昼間はよくひとりで出かけていました。

銃声なども一度も聞いたことはありません。

なんせ人より牛の方が多いからね(笑)

ただ、アドバイザーが街を案内してくれてるときに、

「このあたりは昼間はいいけど、夜は治安が悪くなるから、来ちゃだめよ」

という場所はありました。

 

学校生活はどんな感じ?

 

ゆったり時間の流れる田舎町

時間がものすごくゆったり流れている感じでした。

寮生活だったので、学校はすぐそば。

授業の始まる10分前に起きても間に合うくらい。

しかも大自然の中の小さな町の小さなカレッジなので、留学生も20人前後と少なかったため、

アドバイザーもひとりひとり、丁寧に対応してくれて、

インターナショナルオフィスに行くと、だいたい留学生が集まって情報交換をしたり、アドバイザーに相談したりできる、とてもアットホームな環境でした。

わたしが授業でうまく発言できず落ち込んでいると、

「ダイジョブ、ダイジョブー!」と、いつも励まされていました。

 

留学生に優しい先生が多かった

 

田舎町なので外国人が多くはないんですよね。

だからなのか、現地の人もすごく優しくしてくれましたし、先生方も優しい方が多かったです。

話していると「この子英語流暢じゃないわね」とわかると思うんですよ。

そうすると、ゆっくりしゃべってくれたり、ちゃんと理解してる?って聞いてくださったり、こっちが言いたいことが言えず、必死で言い換えをしていると、ズバリ単語を言ってくれたりというフォローは何度もしてもらいました。

もちろん、中には「留学生だからといって特別配慮しません」、といった先生もいましたがごくわずか、というかある意味平等的な考え方の先生という感じでした。

アジア人だから、とか日本人だから、と差別的な態度をとられたことは一度もありません。

逆に、留学生の方が真面目に勉強するから好ましい、といってくださる先生方もいて、

クリスマス休暇などで帰省しない留学生を自宅のホームパーティに招いてくださった先生もいました。

わたしもサンクスギビングなどを含め何回か参加させていただきました。

 

わからないときや成績に不安があるときは直談判

 

これはアメリカで学んだことのひとつです。

日本ではテストでいったん悪い点数をとってしまったら、そこから成績をひっくり返すのって難しいと思うんですよね。

というか、日本にいたころは自分から言いに行く、という行動なんて考えられなかったというのが正直なところです。

だって生意気な態度をとったら内申にひびくから(^_^;)

 

やっぱり、どうしてもテストの成績が良くないときがあるんです。

全部英語だし。時間が全然足りなくて。

そういうときは、先生に言いに行くんですよね。

「わたしは絶対に成績でCを取りたくありません。AかBを取りたいんです。再テストでもレポートでもなんでも頑張ります」

と。

そうすると、先生が、

「だったら、これをまとめてレポートにしてきてね。AかBにするから」

と簡単に言ってくれるんです。

ええー、いいのー!?

って感じですよね。

何もしなければ何も変わらない。

でも、頑張れば頑張った分認めてもらえる、それはどのクラスでも同じでした。

 

大好きだった数学の先生

 

ものすごく大好きな先生がいました。

おじいちゃん先生で、話すのもゆっくりで、わたしはすごくわかりやすくて授業も楽しかったのですが、

現地の若者たちは授業中よく寝てました(どこも一緒?)

しかも、その先生、日本人は数学がよくできるのを知っていて、

だいたい難しい問題が出てくると、わたしに当てていました(^^;)

アメリカの一般教養の数学の授業はめっちゃ簡単だったので、常にテストは満点とれていたんですよ。

たぶん日本で大学受験の勉強をしっかりしていれば数学は楽勝だと思います。

先生も、

「日本人の学生は電卓なしで難しい計算もできてしまう。本当に優秀だ」といつも言っていました。

その話を聞くと、

あんなに嫌いだった高校生活も無駄じゃなかったんだなぁーと思ったりしていました。

その先生とは学校の外でもよくお会いしました。

車をもっていなかったわたしはだいたい遠出するときは友人に乗せてもらったりしていたのですが、

ひとりでよく出歩くこともあったんですね。

先生も健康のためによくウォーキングをしていて、一緒に街を歩き回ったこともありました。

 

現地の友だちはできた?

 

時間はかかりましたが、できました。

ただ、自分から声をかけていく、とか何かしら積極的に行動しないと、友だちを作るのは難しいだろうなぁと思います。

わたしは寮生活だったので、寮で共同生活をしているアメリカ人や留学生は必然的に会話もするし仲良くもなりました。

日本食をふるまったりもしたし、

映画に誘ってもらって一緒に見にいったりしてました。

スペイン語クラスで仲良くなった友だち、

あとは、アニメクラブで知り合った友だちが比較的仲良くなりました。

スペイン語の先生がフィリピン人だったこともあり、同じアジア系、ということで先生もいろいろと気にかけてくださって、

そのときになかなかアメリカ人の友だちを作るのが難しいという話をしたら、

スペイン語クラスのみんなでキャンプに行くことを提案してくれたんですよね。

あとはわたしが日本人だったので、クラスで日本食を食べてもらう機会をつくってくれたり…。

 

自分でちゃんと声を上げれば、インターナショナルオフィスで企画して、留学生が中心となって国際交流会を開いたり、

田舎のアットホームな環境だからこそできた、ということはたくさんありました。

アニメクラブでは、知り合った子がスタジオジブリの大ファンで、意気投合。

わたしが日本人だったのでずっと気になってた、と言ってくれました。

仲良くなってアニメフェスティバルに誘ってもらって、一緒に参加したこともありました。(なんか懐かしい)

 

もともと人見知りが激しく、シャイと言われ続けていたわたし

 

わたしも最近になってHSPかもなー、と思い始めましたが、

当時はそういった言葉もありませんでしたから。

子どもの頃は本当に人見知りが激しい子でした。

とにかくしゃべらない子どもだったので、先生からは知的障害じゃないか、と言われたこともあったくらい(^^;)

そしてホームステイ先でもずっと「あなたはシャイだからねー」と言われ、

なかなか自分から声をかけることができずにいたわたしですが、

そんなわたしでもアメリカの片隅で、

小さな田舎町で、

カレッジに通い、アメリカ人とともに寮生活をし、友だちをつくり、

先生たちや多くの人たちに助けてもらって、卒業することができました。

 

本の学校嫌いだから、アメリカへ行く

 

きっかけはこの気持ちから自由の国、アメリカへ渡ったわたし。

アメリカ長期留学を決めた気持ちの中に、世界の恵まれない子どもために何かがしたいという思いがあったので、英語で専門的なことが学べるように、とアメリカの大学へ行くことをきめました。

アメリカは自由だけど、理想の国ではなかった。

きっとすべてがうまくいく、理想の国も、夢の国も存在しないんですよね。

どの国にもいいところがあって悪いところがある。

それはどの国も同じ。

わたしは日本という国を外から見ることができて、もう一度好きになることができました。

わたしは日本人。

それを強く感じた時間でもあります。

最終的にはプロフィールにも書いているように、日本の子どもたちのために何かをしよう、と思い帰国することにしました。

そのきっかけはアメリカの小学校でのボランティアです。

 

目的を達成できなかったという意味では失敗だったのかもしれません。

けれど、今のわたしは周囲からどう思われても気にしない。

わたしが自分の目で見て、聞いて、頭で考え、そして選んだことです。

 

多くの素晴らしい人たちに出会い、そして助けてもらい、わたしは自分に自信がもてるようになったし、

勇気を出して行動することの大切さも学びました。

日本にいてもありのままでいいんだ。

嫌いな人は嫌いでいい。

自分は自分。自分という軸をしっかりもつこと。

アメリカへ飛び立った18歳の自分の決断を、今も誇りに思っています。

 

最後に

なぜ突然こんな話を??というと、今年の世界陸上オレゴン州ユージーンという都市で開催されるんですよね。

ユージーンは車で何度か行ったことがあります。

当時、アジア食品店がユージーンに1軒だけあって、たまに友人と買いにいきました。

滞在先から一番近いアジア食品店で、日本食も少しだけ売っていました。それでも車で2時間くらいかかったと思います。

行けない時は、アジア系の友人に頼んで買ってきてもらったり。

よく「納豆を買ってきて」と頼んだら、嫌な顔をされていたのを覚えています(笑)

そんなことを思い出していたら、つい懐かしくなって、いろいろアルバムを眺めてしまったんですよね。

 

10代の子どもをもつ方は留学を視野に入れている方もいらっしゃるかもしれません。

もしかするとまさに悩んでいる10代の方もいるかもしれません。

わたしと同じように若い頃、留学経験のある方もいらっしゃるかもしれません。

 

留学して学べるのは語学だけではないです。

その土地の文化、歴史、そして人々の生き方、考え方、

それは日本の当たり前と大きく違うこともあります。

時に感動し、時に幻滅し、時に喜びを感じ、時に辛さを感じ、時にもどかしさを感じ、

自分に様々な感情があることを知ることもできるかもしれません。

自ら動かなければ学べないことも多いです。

 

今、親になって思うのは、

やっぱり心配はたくさんあったと思うんです。

20年前であっても、アメリカは日本よりも治安が悪いし、銃社会ですから。

それでも、わたしを信じて背中を押してくれたわけですからね。

渡米当初はまだ携帯電話も一般的ではなく、両親はメールもできませんでした。

高い国際電話とエアメールが連絡手段です。

今は本当に便利な時代になりましたけど。

決して安くはない留学という道を選ばせてくれた両親にも感謝しています。

 

子どもにとって一番うれしいのは、親が自分を信じてくれること。

自分がやりたいと言ったことを心から応援してもらえること。

 

今度は親として、わたしは子どもを信じて、送り出さなければならないんだなぁ、としみじみ思ってしまったのでした。