子どもと学びとわたし

保育士ママが子育てや教育について考えてみる

なぜか義務教育が終わることにほっとする

こんにちは。

 

もうすぐ義務教育を終える息子さんですが、なぜかほっとしています。

実は同じことを、わたしも中学を卒業する時に感じていたことを思い出しました。

 

今でも、そのときのことをよく覚えているんです。

 

ああ、これで学校へ行かなければならないという義務から解放されるんだ。

 

と。

 

実際には、義務教育というのは親が子どもに教育を受けさせる義務であって、学校へ行かなければならない義務ではないのですが、

子どもの頃のわたしは、

義務教育期間は何が何でも学校へ行かなければならない。

と当たり前のように思っていました。

 

たぶん、今でもそう思っている人は多いのではないかと思います。

 

行かなければならないと思うから学校が辛かった。

そういうわけではないんです。

ただ、わたし自身も学校という場所が苦手だったのは確かです。

 

まあ、その後の高校生活で、日本の学校に対する気持ちが完全に冷め切ってしまったので、なんともいやはや…いやはや、なのですが。

 

今は、自分が親という立場なので、

息子が義務教育を終えることに対して、

親が子どもに教育を受けさせる義務から解放される、ということになんとなくホッとしている自分がいるんです。

 

息子が不登校になったとき、

当時の担任から、さんざん、親の義務を放棄している、と責められたことも関係しているのかもしれません。

それくらい、あの先生にはわたしの心はずたずたにされたのは確かで、

今でも思い出すと苦しくなります。

 

今では、泣き叫ぶ子どもを無理やり連れていくことの方が子どもの人権無視なのでは、と言い返せると思いますが、当時のわたしは…なぜか弱かった…。

言われるがまま、責められるがままだった…。

 

けれど、やっぱり親としては本当に悩みに悩みました。

自分の人生ではないので、余計に考えました。

どうしてあげたら、子どもにとってベストなのか。

 

本当に悩みに悩んだ義務教育期間。

 

やっとそれが終わるんだ、という安心感。

もちろん、子育てはまだ終わりませんが。

 

『義務』

 

という言葉に苦しめられることからは解放されます。

 

あの時の、かつてのわたしもそうだったのかな。

 

『義務』

 

という言葉があまりにも重すぎた。

 

この『義務』という言葉に苦しんでいる親子はたくさんいるのではないでしょうか。

 

義務だから学校へ行く、というのは学びへの目的が違ってきます。

義務教育という言葉で、子どもたちの純粋に学びたいという気持ちを縛り付けないでほしいなぁ、と思ってしまいます。

いや、勝手に縛り付けられているだけかもしれませんが。

 

さて、卒業間近の息子さん、最近勉強することが楽しいのだそうです。

それは『義務』から解放されるから?なのか。

息子もまた『義務教育』という言葉があったから「学校へ行かなければ」と感じていたみたいです。

高校では、純粋に学びを楽しんでほしいなぁと思います。

 

知らないことを学びたい。

 

そんな、子どもたちの学びたい気持ちをかなえる場所が『学校』だったはずなんですけどね。

 

学校は楽しく学べる場のひとつであってほしい。

学校だけが学びの場ではなく、様々な場所で学べる環境があってほしい。

子どもたちが自分にあった場所で学べることが、認められる世の中であってほしい。

 

そう思います。