子どもと学びとわたし

保育士ママが子育てや教育について考えてみる

ゲームと学びについて

最近マイクラブームな娘と一緒にマイクラをやっていてふと思ったことがあったので、今回はゲームと教育の関係性について思ったことを書いてみます。

  

子どもたちはマインクラフトが大好き

 

我が家の子どもたちは年の離れたきょうだいですが、どちらもマイクラが大好きです。

わたしはあの四角い感じが苦手だったのですが、娘がどうしてもやりたいというので、ついに昨年マイクラデビューをした初心者です。

息子はJAVA版とSWITCH版をやっていますが、JAVA版の方はもうあまりやらない、というのでそちらのアカウントを使うことにしました。わたしとしてもPCの方がやりやすいので。

で、なにが起きたのかというと見事にはまってしまいました(^_^;)

イクラの魅力にとりこになって本まで買ってしまうという…。

とにかくマイクラの魅力は冒険もできるけど、クリエイティブな街づくりもできるんですよね。

教育EDITIONというのもあって、海外の方では授業でも取り入れられて教材としての役目もあります。

日本でもプログラミング教室や、私立の学校では取り入れられていると聞きます。

 

わたしと娘はサバイバルとクリエイティブ両方すすめていますが、サバイバルもチートモードを使えばなんでもありな状態に。

コマンドを使えばプログラミングの初歩的なこともできるんですよね。

夜になったら一瞬で朝にしてしまったり。ゾンビを消したり。ダイヤモンドを出したり。

息子からは”地道に探すのが面白いんじゃん…”と呆れられながらも、ちょいちょい使ってしまう便利な機能。

 

というわけでクリエイティブでは無人島開発をして別荘をつくり、大陸の方には大きな近代的な街を建設中です。

サバイバルでは最強の村づくりをせっせとやっています。

 

イクラとマリオからみえる教育的背景

 

さて、マイクラをせっせとやっていて思ったことがあります。

わたしはちょうどファミコンが世に出てきたときの世代なんですね。

小学生の頃、父がファミコンを買ってきて、「ついに買えた!」と興奮していたのをよく覚えています。

その時に買ってもらったのがスーパーマリオブラザーズキングコングでした。

初ゲームがマリオ、という方も多いのではないでしょうか。

いまでこそ、マリオも様々なゲームになっていますが、当時といえば与えられた障害物場面をひとつひとつクリアしていくという単純なもの。

それでもとにかく面白かったんですよね。

 

マリオゲームの面白さって、与えられたルート、簡単なルートからどんどん難しくなっていくルートをクリアしていくことの達成感だったり、うまくテクニックを使っていくことだったりすると思うんです。

つまり与えられた課題をクリアしていくことの達成感です。

 

でもマイクラというのは一から何かを作り出していく面白さがあります。

最初は何ももっていないので、土を掘り、木を切り、家を作って、動物を攻撃して食料にしたり、ベッドの材料にしたり。

クリエイティブでは材料はすべてそろっていますが、土地を整地したり、設計したり、建物を作っていくというのは一から始めなければなりません。

決められたマニュアルなんてものも、ありません。

こうしなければならない、というものもありません。

自分で自由に、自分だけの世界を作っていくことができます。そこにはなんの制限もありません。

 

もちろん、自分で制限を設けることもできます。すべて自由です。

 

日本でも似たようなもので、あつまれどうぶつの森がありますが、

これはとにかく制限が多いです。土地も限られています。

お金がなければ建設できない。借金を返してまた借金。とにかく苦労しないと街づくりができないんです。

それはそれで面白さもあるんですが。

 

もちろん、いろんなゲームがありますし、時代背景も違うので、これだけでこう!と断言はできないのですが、有名なゲームを比べると、それぞれの教育的な背景が少し見えてきませんか?

 

マリオの与えられた道をクリアしていく、とか、あつ森の苦労しなければ何かを得ることはできない、というのは、

コツコツ目の前にある課題をこなしていく、日本の教育現場ではごくありふれたものです。

 

一方でマイクラは自由な発想で使い方や遊び方も自由です。

イクラスウェーデンの会社でつくられたゲームです。

 

日本の公立校は学区が決まっていますが、スウェーデンの学校は、自分に合ったカリキュラムの学校を自分たちで選ぶことができます。

共通の指導要項はあっても学校によってさまざまな違いがあるんですよね。

もちろん留年や飛び級もあり。

移民も多いので、さまざまなバックグラウンドを持った子どもたちが柔軟なかたちで学べるシステムになっています。

 

もちろん様々な問題はあると思うので、それがいいか悪いか、という話ではなくて、

そういった教育的な背景や社会的な背景はゲーム制作にも表れてくるのかな、と感じたんですよね。

そんな感じでマイクラをとおして教育的背景とゲームの関係性についてもものすごく興味が出てきたので、今後も調べてみようと思っています。

 

ゲームから人は学ぶことはできないのか

 

昔からよく言われている「ゲームばっかりしていないで、勉強しなさい!」というのは今もよくあると思います。世界でもまぁよくあることなんではないかと思います。

 

実は、昔わたしが小学生だったころ、ディベートの授業で「ゲームで学べるVSゲームでは学べない」というのをやった記憶があります。

 

わたしは「ゲームで学べる」派でした。

 

そのときに確か歴史のゲームを持ち出して、「こういったもので歴史の背景に興味をもつこともできる」という発言をしたのを覚えています。

あとは別の子がスポーツのゲームでスポーツのルールを学べる、というようなことをいったり、とにかくゲーム好き派は様々なゲームをもちだして発言をしたんですが、見事敗北しました。

 

なぜかというと、ゲームでは学校教育で学ぶ教科書の内容は学ぶことができないから、というのが最終的な結論だったんですよね。

「ゲームで学べる」派は不満だらけでしたが、最終的に判断するメンバーがそういう結論にいたったのでしかたないです。

 

今思うと、面白い授業だったなーと思います。

賛成反対派に分かれ、中立派に判断させる、というのをすべて子どもたちでやるわけですから。

 

確かに、当時の状況で、ゲームでは学校教育で学ぶ教科書の内容は学ぶことはできない、はあたっていたと思います。

30年も前はゲームもそれほど多くなかった上に、やはり趣味や遊びというイメージは今以上に強かったですからね。

 

例えば、【三國志】や【信長の野望】など歴史を取り扱ったゲームはたくさんあります。最初ゲームからはいって、歴史に興味を持つ人も多くいるでしょう。それは確かに歴史を学ぶ一歩です。ですが、それが教科書に書かれている内容か、というと必ずしもそうではないんですよね。

わたしは歴史は今でもすごく好きですが、学校に通っていたころの歴史の成績は悪かったです。

マニアックな歴史的背景は詳しかったのですが、〇〇年に〇〇が起きた、とか世界で〇〇のあった時期に、日本では〇〇があった、というようなことは覚えられなかったので。

 

では今ではどうでしょう?

教育目的のゲームもたくさん出てきました。

ゲームで学ぶ、といった言葉もありふれてきましたね。

ゲームが教材になったりもする時代になりました。わたしたちが子どもの頃はおもちゃの一つでしかなかったゲームが、今は教材になっているんですよ。

そして、E-SPORTSなんていうものもうまれ、プロのゲーマーという職業もできました。

時代は変わってきています。

今後ゲームがどのように教育にかかわってくるのか、と想像してみるのも面白いですね。

 

 

さいごに

 

ゲームと学びについて少し考えてみましたが、どうでしょう?

 

ゲーム好きなわたしが親になって思うことは、ゲームは学びのきっかけになるかもしれない、ということを少しだけ頭の片隅にでもおいておけばいいんじゃないか、ということです。

 

 

ゲームというゲームをすべて否定するのではなく、

子どもがゲームばっかりして勉強しない!と思うのではなく、

この子はゲームから何を学んでいるのか?

この子、このゲームばっかりやっているけれど、なにが面白いのか?ということを観察してみるとまた違った視点から子どもを見れるのではないでしょうか。

 

ちなみにわたしはマイクラでけっこう思いつきで適当に街づくりをしているのですが、息子は、緻密に計算された世界を作っていてビビりました。

本人曰く「地味で地道な作業をすることで得られる喜び」があるんだそうです。

 

この地味で地道な作業、がいつかどこかで役に立つ日が来ればいいなー、と思う親心です。