知らないことを知る、知らないことを学ぶって本来とても楽しいことだと思います。
わたしも今はとっても学ぶことが好きなので、子どもたちにも楽しく学んでほしいと思うわけです。
わたしが学ぶことが楽しくない、勉強はいやだなぁと思ったのは、高校生のときでした。
入試の結果からなぜか進学クラスに入ってしまったのがわたしの悲劇の始まりだったのかもしれないですね。
でも、本当は考え方をかえたり、物事を別方面から見たり、そんな柔軟さがあの頃の自分にあればもっと違っていたかもしれないです。
進学クラスでは1年生から大学受験に向けて学習しました。
教科書の進み方もほかのクラスより早いし、放課後や長期休みの補習は当たり前。課題もたくさん出ました。
でも何より嫌だったのが、先生の口癖です。
「今は苦しいかもしれないけど、大学に入ったら遊べるから頑張れ。今さえ乗り越えれば楽になれる」
わたしの中で、遊ぶために、大学へ行く。大学で遊ぶために受験勉強を頑張る、というのが理解できませんでした。
学ぶ意味がわからなくなり、大学へ行く意味を考えてしまったんですね。
そんな迷いの中で、参加したアメリカ短期留学。
日本中いろんな地域の10人ほどの高校生が参加しました。
そのときに出会った友人たち、アメリカでの出会い、たった2週間の経験でしたが、それが大きなわたしの分岐点になったんですね。
あまりの英語力のなさに、英会話スクールへ通い始め、英語の勉強を必死で頑張るようになりました。
一学年上の子たちが、将来について真剣に悩んでいて、留学や海外での就職について本気で考えている姿に刺激を受け、わたし自身も本気で進路について考え始めました。
このまま進学クラスにいてこの流れのまま大学へ行っていいのか。
本当にこのままで後悔しないのか。
英会話スクールに通い始めたことで、学校以外の友人ができて、それも大きな刺激になりました。
学校は楽しくなかったけれど英語を学ぶのは楽しかった、本当に。
英語を真剣に学び始めたことで、また新たな出会いがあって、
アメリカ人の先生だけでなく、スウェーデン人の先生と出会って、ヨーロッパではほとんどの人が何か国語も話せるということを聞いて衝撃を受けたり。
知らない世界の話を聞くのは本当に面白かった。
もっといろんなことを知りたい。
そんな気持ちから本屋さんで海外の情報の本をあさったり、
テレビで世界のことをやっている番組を見たり。
当時はインターネットはごく一部の人しか使えなかったので、
ケータイもなく、(わたしたちの時代はポケベル)←高校で禁止されていたのでそれすら持ってなかったけれど。
今と比べたら情報を得られる場所が本当に少なかったですよね。
それでも必死でした。
今思うと、それが「学びたい」という気持ちなんですよね。
「知らないことを学ぶことって楽しい」
そう思えたとき、人は自らどんどん学ぶことができるんだと思います。
英語の成績が上がると同時にほかの科目も頑張れるようになりました。
おかげで成績は上位に入るようにもなりました。
ただ絶対大学進学!の担任や校風と合わず、不登校になりかけたりもしましたが、それはまた別のお話で。
結果的に、わたしは高校卒業と同時に渡米し、アメリカのカレッジに進学しました。
小学校へ入ってから息子が、「勉強つまらない」と言い出した時、
英語学習が始まってから「英語きらい」と言い出した時、
どうしよう、と考えてしまったんですよ。
つまらない、苦手、と思っていると、はっきりいって身につかないんです。
そして思い立ったのが、
わたしが、楽しく学ぶ姿を見せて、一緒に学ぼう。
ということでした。
そのころ、息子は不登校になって、支援機関や本人と相談し、ホームスクーリングを選択していたころでした。
息子は、最初は学校の勉強が遅れるのが嫌だ、というその気持ちだけで勉強していたようですが、
わたしがそばで勉強している姿を見て、何か感じてくれるものもあったのかな。
そのうち「勉強することは自分のためだから」というようになり、
それからさらに時が流れ、最近、
「英語がなんか楽しくなってきた」
と言う発言が!!
わたしは子どもたちに勉強しなさい、ということはありません。
けれど、学ぶことはとても大切なこと、何より、楽しく学ぶことが将来必ず力になるということは伝えています。
だから大人になっても、わたしは学び続けている、そういう姿を見せることで、その大切さが伝わればいい、と思っています。
わたしが勉強していると、子どもたちは刺激をうけて、ノートを広げたり、パソコンでオンライン教材をやっていたりします。
そしてそれを見て、わたしも頑張ろう、と思える。
結果的に、子どもたちと一緒に楽しく学ぶ、というとことは、子どもたちにとってもよいことだし、わたしにとってもスキルアップになるので、なかなかいい相乗効果になっているわけです。